読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヨコズキゲーム’

ゲームの事しか書いてない らじてんのブログ。

メタルマックスの持ち味の話。

 クリアして感想を書いても、まだまだプレイ要素が満載で、遊び甲斐がMAXの「メタルマックス2:リローデッド」を続けてプレイ。

 現在、ラスボス撃破後の追加賞金首三体を順に屠りつつ、そのドロップアイテムを厳選する地獄コースに突入。
 U−UシャークからはUUバースト砲☆3を、エクスダイダロスからはエクスダイキャノン☆2をゲット。エクスダイキャノンが☆3じゃない辺りに妥協が。
 マラソン狩り自体、そんなに面白い作業でもないので、嫌になってぶち投げる前に、切り上げる方向でプレイっす。☆ランクの差分は、元攻撃力に比例するせいで、☆一つ差が攻撃力100くらいの違いを生むけど、UUバースト砲は☆3だし気にしないよ俺は。気にしてねえよ。
 あとは、事実上最大隠しボスの軍艦キングさんから最強主砲キングバースト☆3を狙うのと、最上級賞金首ラグナ・ロックの討伐、バトーの外道のクエスト、ピチピチの撃破・・・。結構あるな。

 でもって、2周目に突入する前の準備として、各種戦車もなるべく改造充実を考えるのが楽しそう。
 1周目では活躍機会の薄かったバイクを光らせるんやワシは。


メタルマックス熱が全く冷めていない。

 というわけで今日は「何故メタルマックスが楽しいか」という話。
 まぁ、今までインターネッツを通して、世界中のサーバーにこの手の情熱が垂れ流しにされたとは思うけど、俺もそういう事してみたいんじゃ。

 先に書いておくが、自分はメタルマックス不遇時代の作品「メタル・サーガシリーズ」はプレイしていない*1


前回の記事にも書いたが、メタルマックスシリーズはその初代の発売時「竜退治はもう飽きた!」というキャッチコピーでCMを流した。
 今で言えば「モンスターハンター」辺りに真っ向ケンカを売るキャッチコピー。

 基本はよくあるRPG。

 戦車に乗って、その戦車を改造することで、強敵と渡り合っていく設計。それまではストーリー上の障害としていたボスを、賞金首とし、気付かなかったり、出会わなければやり過ごせてしまう設計。スムーズな順路はあるものの、正しい順路がある訳ではなく、戦車がある故に、柔軟性の高い攻略が可能な設計。
 ベースこそ、王道「ドラゴンクエスト」と同じようなRPGなのだが、全てが尖っており、当時、その厳しくも他と一線を画す内容に心を奪われた。

 システム面だけでなく、世界観も魅力的だ。
 「北斗の拳」的なヒャッハー!世界。ところどころにビルやセキュリティ、あるいは武器という形で残る旧世代(現実世界)の残滓。
 跋扈するバイオ生物と暴走メカ。
 そのうえ、人間狩りをする暴徒集団がいたりする。
 そうした過酷過ぎる環境で、劣勢になった人類が、じゃあ引きこもって悲壮感たっぷりに生きているか、って言うと、それだけではない。
 活き活きと、ただ生きるということに貪欲に生きることを戦う人たちもいる。
 
 こうした点は、初代メタルマックスメタルマックス2メタルマックス3、メタルマックス2:リローデッド、全てに共通している。

■でも、よく考えてみるとだ。
 要素のいくつかは別のゲームでもあったりする。

 「フォールアウト」シリーズがその代表だろう。
 北斗の拳的な荒廃した世界で。フォールアウトも核戦争で滅んだアメリカを舞台にしてる。
 跋扈するバイオ生物と。ミュータントがいますな。
 暴走メカ。数はないけど、レイブンの連中のメカとか、ブラザーロボとか。

 じゃあ、フォールアウトでは足りないとこがメタルマックスだけの魅力だ!
 として、話を進めてみる。

 1.戦車。
 2.殺伐としているだけでない世界観。

 暴走メカやら、バイオ生物のデザインやら、賞金首って要素も重要だと思うけど、長くなりすぎるから、一旦割愛する。
 特に、メタルマックスのモンスターデザインってもっと絶賛されて良いと思うんだけど、割愛。


■まずはやっぱり戦車だろう。戦車。
 やはり一番に、戦車がメタルマックスの良さだ。
 人間では数で太刀打ちできない敵を戦車の機銃で一網打尽にしたり。
 人間では通らない火力を戦車の主砲で一撃貫通したり。
 人間では耐え切れないダメージを戦車の装甲タイルをベリベリ剥がされつつ凌いだり。


 初代から、主砲・副砲・S−E装備が可能な点は変わっていない。
 弾数制限はあるが花形の主砲。雑魚戦・持久戦に特化した弾薬無限の副砲。一発逆転、迎撃のS−E。
 つまり、RPGの鉄板であるファンタジー物のRPGにおいて、魔法に当たるものが、メタルマックスでは、戦車の武装になる訳だ。
 魔法の場合、MPをリソースとして戦うことになるが、戦車はもちろん弾薬をリソースとして戦う。
 魔法の場合、強化のためには魔力を上げたり、上位魔法を習得する必要があるが、戦車兵器にはそんなもの無用だ。金さえ積めばガリガリ改造出来る。守備力を削って、攻撃力や装弾数を上げたり、自分なりに尖った性能に出来たりする。無改造ではしょっぱい兵器も、改造での伸び白が大きく、とんでもない化け物になったりするところも良い。
 
 シリーズが進んで搭載可能パーツ数が増え、バリエーションが増すことで、属性の要素が強くなり、搭載パターンが増加・変化したことで、より特殊な兵装が可能になり、一概に上記の兵装分類が正しいとは言えなくなってきているが、大筋は同じ。むしろ特殊兵装が増えたことで、個人的には装備バリエーション、改造が楽しくなって来ている。


 人間とは違って部位破壊があるのも戦車の熱いところだ。
 戦闘中であれば、コアであるシャシーを破壊されるまでは戦い続ける事が出来る。
 格上の敵を相手取った戦闘では、戦車破壊祭が発生する。装甲タイルを剥ぎ取られ、破損、大破、破損、大破の連続で、各パーツが破壊され、徐々に戦車の戦闘力が奪われていく絶望感。
 同時に、主力兵装さえ破壊されなければ、最低副砲さえ残っていれば。シャシーさえ破壊されなければ、乗り込んだ人間が引きずり出されることはない。逆転にかけて、暴力的な攻撃を戦車で凌ぎながら戦うギリギリ感、緊迫感は、他のゲームでは味わいにくい。


 戦車自体の強化が全てお金で解決するのも、メタルマックスのポイントの一つだろう。
 他のRPGでは、いくら強い装備を買おうとも、結局はレベルによる自力が一番大事、というところがある。
 メタルマックスでも、白兵戦を強いられる局面があるため、もちろんレベルも重要。だが、戦車の強化をうまく行えば、かなりのところまで行けてしまう自由度がある。
 これは、強敵がいる場所を逃げに徹して通り抜けてしまうのとは、少し違う。むしろ格上の相手を強化した戦車でバリバリなぎ倒し、白兵戦では倒せないような敵から経験値を取得する形、攻めの自由度だ。


 なお、メタルマックスは企画された当時、戦車のRPGではなく、メカになる可能性もあったらしい。グラフィック表示上の問題からよりわかりやすい戦車になったとか・・・。
 メカだったら、ここまで魅力的なゲームになっていただろうか・・・。
 RPG版アーマードコア、それはそれで楽しかったとは思う。
 しかし、今となっては、という話ではあるが、メカ物ゲームなら、なんだかんだでたくさんある。RPGでないにしろ。
 無骨で前時代的で、そもそも現在ですらロマン兵器になりつつある戦車を使う、なんというか、適度などんくささ、泥臭さこそ、荒廃した世界でどっこい生きる人間に相応しいという気がする。


■どっこい生きてる人間。
 そして、メタルマックスだけの、もう一つの魅力は「どっこい生きてる人間」にあると思っている。

 荒廃した世界で生きる人々が描かれているゲームは少なくない。
 しかし、大抵、悲壮感とワンセット。そして、それだけ、という印象が強いのだ。

 メタルマックスにも、もちろん悲壮感はある。

 そもそも、2の冒頭はしょっぱなから育ての親含めて、強い人間が焼き殺され全滅するところから始まる。3だって、自分が殺されてスタートするし、いきなり戦車に蹂躙されたりする。
 敵組織の攻撃、人体実験で死体がうようよ転がっている。
 詰まらない欲望で簡単殺しあう人もいる。病気にも関わらず、世界環境から治療法がない人もいる。復讐だけが人生になった人も出てくる。自らの欲望だけに忠実で周囲を顧みない人はたくさん出てくる。
 殺伐とした世界がしっかりと誤魔化しなく(2Dデフォルメ表現の限界の問題はあれど)描かれている。

 だが、悲壮感だけではない。

 なんというか、出てくる人たちが悲惨で過酷な環境にも関わらず、全体で見ると元気でアッパーなんである。
 死体にしか興味のないザ・変態のドクターミンチ。おごったり、一杯飲まなきゃ相手さえしてくれない酒場の面々。戦車パーツのことしか考えてなくて、性的にすら興奮してそうな改造屋のメカニックたち。噛みかけのガムを売る変態。実験による死を目の前にどうせなら女性と合体させてくれと叫ぶ男。取れたての奇形魚を叩き売る行商人。
 廃墟になった町を勝手に再利用して商売を始める人たち。よく解らないまま、超科学の装置を便利にしょうもないことに使う人たち。

 ろくでなしたちではあるが、生きる事に必死で、しかしどこかお気楽で大雑把な感じもする人たちがたくさん出てくる。


 こういうテイスト、どこかで見たな、と思った。
 そう「砂ぼうず」だ。

 いや、待て待て、アレは似過ぎじゃないか*2
 戦車の代わりにワイヤーウインチの出てくるメタルマックス砂ぼうず。で、話がすぐ終わってしまい過ぎる。何の説明にもなってない。
 砂ぼうずほど直じゃなくて、同じようなノリを持ったものがあるはず。

 ということで、考えて思い至った(至った気がした)。80年代〜90年代前半のコメディ漫画だ。
 あの時代の文系漫画(特にサンデー系やオタク寄り雑誌)のノリは今見ると、なんだか清清しい。
 モラトリアム世代の成せる技か、大きな主張もなくノリだけで乗っかる代わりに、全力でノる空気。そして、何よりノリに邪気がない。
 ずっと変わらずある種ストイックな体育会系に対して、80〜90年代の文化系は、大きく変わった気がする。あの当時、実際の文化系は今と同じだったかも知れないが、少なくとも、フィクションコメディーの世界で描かれる彼らの多くは、妙に元気で無責任でノリがよく、客観性に乏しい反面、己を良い意味でも悪い意味でも貫き、そしてなんか今見るとうらやましさすら感じるほどに、活き活きしていた。

 
 メタルマックスの世界では、こうした80〜90年代のノリの人たちがたくさん出てくる。
 政治がない、人権のない世界において、無責任に自分を貫いたり、無責任に自分を貫かなかったりしながらも、ノリよく、しかし、生きることに貪欲で動物のように疑問なく、だからこそ、活き活きしている。

 基本は殺伐としていながら、時折こうした80〜90年代のノリが出てくるところ。
 そのバランスが、メタルマックスの鋭い魅力となって自分に刺さっている。

 80年代〜90年代に飛ばした投稿コーナーをジャンプ放送局で展開したのが、メタルマックスシリーズディレクターの宮岡寛さん。
 80年代〜90年代のコメディ漫画の金字塔、うる星やつら高橋留美子さんのアシスタントで、後に、アニメオタク雑誌アニメディアなどで漫画を連載していたのが、初代メタルマックス、2のキャラクター・モンスターデザインの山本貴嗣さん。
 この辺りを考えると、作中に通底するノリは当然なのかも知れない。


■さて、フォールアウトにない魅力、という点から、うだうだ長々と書いた。

 特に二つ目に書いた「80年代〜90年代」のどこか無責任ながら、元気に生きてる人たちというイメージは、もっと他の作品でもあっていいように思う。
 まぁ、前提として客観性や協調性、助け合いどころじゃない!という世界観がなければ、今の時代成立しづらいようなところもある。学生だからって無責任じゃダメだろ!ってしんどい世の中だし。
 よって、必然、荒廃した世界を舞台にしたものになるんだろうけどね。
 なんというか、フィクションだからこそ許される自由さとか、人間の動物っぽさって、すごく楽しい。

 別にこれはゲームに限った話じゃないんだけど、まぁゲームでもしかめっ面して社会正義っぽい感じのこと謳うようなものばっかりじゃなくて、もっと個人的で、動物的ながらどうしようもなく人間的な事を語ってもいいんじゃないかと。
 メタルマックスは、物語主導のゲームではないけれど、世界観を通して、そういうことを物語ってくれる、稀有なゲームで。でも、稀有でなくて、もう少しくらい、あっても良いよな、という事を思った。


おわり。

*1: 「鋼の季節」はともかく「メタルサーガ 〜砂塵の鎖〜」はキャラデザイン関係があまりに好みじゃなかったせいでプレイせず終いになっていて、今でもたまに悔しい。今考えたら「そこじゃないだろ」って気はするし、デザインにモデリングがキチンと沿っていて、悪くない出来な気がするんだが・・・。我が家のPS2は死亡しているので、多分プレイすることは・・・ない。

*2: ちなみに砂ぼうずで一番好きなシーンは、散々荒廃して砂漠化した東京や過酷な環境の説明をして「生き残った人たちがどのように暮らしているかと言うと・・・」と出てページをめくると「全然懲りてませんでした」ってモノローグと共に、めっちゃドンパチしてるシーン。はぁ・・・続き描いてくんねーかなぁ、うすね先生。